「おっぱいがある」それだけで素晴らしいじゃないか!
最初に断っておくが、私は自分でも気持ちのいい小心者だ。チキンだ。
空手の稽古が怖くて、わざと初心者ぶって手加減してもらう程の末期レベルだ。
そんな私だが、どうしても納得いかない事に対しては、決して見てみぬふりも臆もせず、真正面から意見を申し上げる時もある。
今がその時だ。男を見せる時だ。
チルドさんのこの記事を何度読み返しても、納得が出来ない。
ちっぱいに対しての救いがないのだ。
チルドさんの記事を読む限り、「でっぱいに非ずは女に非ず」にしか私は感じ取れない。
でっぱいはメリットが多い
はい、私も同意見です。正論としか言いようがないです。
私だってでっぱいの持ち主に出会ったら、ガン見するもん。
でっぱいの持ち主は社会的に有利なのは、残念ながら事実だと思う。
私は一応マッチョなので、時々女性の生々しい視線を感じる時がある。
決して自意識過剰ではない。
この前も妙齢の女性に、私の胸板をガン見された時はさすがに怯えた程だ。
なので、私が異性の立場に立ってみると、少なからず理解できる部分はある。
ちっぱいはメリットが少ないのか
これも本当に不本意ではあるが、同意見である。
昔私が通っていた学校でも、私のクラスで二人の少女がいた。
その二人はルックスは同レベルだが、違う点は、ちっぱいとでっぱい。
もちろん男どもの扱いは、ちっぱいとでっぱいと天と地の差があった。
でっぱいは常にちやほやされていて、ちっぱいは冷遇されていた。
私はそんな光景を見て、いつも不憫に思っていた。
このことから、男性でチビよりも長身の方がモテるように、肉体的容姿で異性の態度が変わるのは古今東西のことだと、童貞ながら悟った。
後、私はでっぱいの取り巻きの一人だったことも付け加えておく。
おっぱいの大きさで女性の幸せは決まらない
チルドさんの記事の中にある文章で、
「誤解を怖れずに言うと、女性の幸せは、おっぱいの大きさに比例してる。なぜなら、おっぱいは、社会的な階層についても影響を及ぼしているからだよ。」
とある。
私はこれに真っ向から反論させていただきたい。
何故なら、でっぱいは確かに女性として幸せかもしれないが、年老いて垂れ始めたらどうすんの?女性的魅力はあんの?ああん?(半ギレ気味に)
また、でっぱいのせいで男性の醜い性欲の対象にされる可能性も高まる。
そう、幸せは確かに大きくなるが、不幸もまた大きくなる。
例えると、東京へ上京してきた田舎娘がでっぱいだったために、街でスカウトに勧誘され、スカウトの口上手さにすっかり騙され、アイドルになるつもりがAV女優になり、最後は風俗へ沈んでいった・・・。
これも彼女がでっぱいだった為に人生が大きく狂ってしまったのだ。
そんな不幸になるリスクもでっぱいは背負っているのである。
その事実を無視して、でっぱいは幸せはいかがなものであろうか。
ちっぱいは下流、でっぱいは上流の決めつけはやめようよ
これもチルドさんの記事の中にある文章で、
・小さいおっぱい:下流
・大きいおっぱい:上流
という記述があった。
私にはこれが、「まるでちっぱいはでっぱいよりも劣る」にしか聞こえない。
それも反論させていただきたい。
人のおっぱいへ対する価値観は人それぞれ。千差万別。
それでも私が申し上げたいのは、
ちっぱいが似合う人、でっぱいが似合う人
がいるという事実である。
だからこそ調和がとれていて美しい。
もし堀北真希さんが豊胸手術ででっぱい化したら、私は「お、おう・・・」としか言えなくなる。
不自然すぎて、彼女の本来の魅力が半減されるのである。
このように、ちっぱいだから女性としての魅力が劣ることは決してない。下流、上流と決めつける必要はないことを私は指摘したい。
後、山本耕史。テメーだけは許さねぇ。
でっぱいってそんなにいいのか?
まず私が指摘したい部分は、
「でっぱいの持ち主は大抵が肥満体で、だらしない体の割合が多い」
である。
当然ではないか。おっぱいは元々脂肪のかたまり。
なので肥満体になればなる程、でっぱいになるはず。
これはスーパーとかにいる、いい年をしたオバさんを見れば分かるはず。
肥満体ほど、でっぱいの持ち主の割合が高いはず。
よくマンガやグラビアにある、でっぱいでかつ引き締まった肉体。
あれは幻想だから。ファンタジーです。
ボインッキュッボンッ!
そんなダイナマイトボディは存在するには存在するが、恐らく5万に1人の確率だろう。統計方法は聞かないでほしい。
少々冷静に考えて頂ければ「あっ」となる話のはず。
最初から「おっぱい」はない
グダグタ話が長くなりそうなので、まとめを。
胸があるからおっぱいがあるんじゃない。胸から「おっぱい」へ作り上げていくんだ!
私はこれを強調したい。
考えて欲しい。自分に「おっぱいがある」ことを自覚していないことは、どれだけ自分の女性としての魅力を半減させていることか。
また、でっぱいをいいことに、自分の容姿を磨く努力を怠る事もあり得る。
例え、でっぱいだとしても、下品でだらしのない顔をした女性が「タンクトップさえ着とけば、男たちの視線を集めるでしょー。」と胸を強調して私を誘惑してきたら、かかと落としを放ちたい。でっぱいを叩き潰す勢いで。
※実際に人にかかと落としを放ったら、警察に捕まります。
私はそんな下品なおっぱいは見たくない!
それに反し、ちっぱいがタンクトップを着て、「私おっぱいないから、ちょっと恥ずかしいかも・・・。」と恥じらう。羞恥心を出す。胸を隠すようにしてチラリと私を見る。
これだ!これが上品なおっぱいなんだ!
特にちっぱい至上主義の方はそう感じるだろう。多分。
私が言いたいのは、胸から「上品なおっぱい」へ作り上げていくのは、その人の性格、知性、雰囲気で決まる。特に恥じらう気持ちが大切である。
そこにちっぱいもでっぱいもないのである。
最後に
チルドさん、いえ、チルド様のような累計1.300.000PV(2016/02/11現在)を誇る大物ブロガーに、私のようにPV数が1000にも満たない名も無きブロガーが、野良犬のようにチルド様に噛みつくのは、炎上狙いではない。売名行為でもない。
単純に「ちっぱいも幸せだよ!」とお伝えしたかっただけである。
チルドさんの記事にも、
「また、僕は、おっぱいの大小について、いかなる偏見も持っていないと断言するよ。ましてや、女性を不当に貶める意図はないことも付け加えておく。」
とあるように、ご本人も女性を本気で貶める気は毛頭ないと思う。あくまでも「チルドさんご自身がそう思った」話だ。それだけなのである。
何回も言うが、チルドさんの揚げ足取りをする気は全く無いし、私のおっぱいに対する愛情が、この記事を書かせたのである。
この記事でより読者たちを楽しませたい。その一心で書いたのである。
ブックマーク・PV数稼ぎの下心もあるが。
オチとして
それだけで十分じゃないか。うん。
上品なおっぱいがいっぱいになれば、世界は平和になる。
ちっぱいとでっぱい。その格差さえ霞んでいくだろう。
なぜなら男が女性のおっぱいをモミモミする機会が増えるからである。
以上、おっぱいを深く愛する者の魂のメッセージでした。
チルドさん、この記事を書くきっかけを下さり、ありがとうございます。
後、
炎上は勘弁して下さい!!!m(_ _)m