上段回し蹴りで地球を救うふりをするブログ

読者たちが「クスッ」と笑えるようなおバカブログを書いています。あ、上段回し蹴りと地球は全くないです。

マッスル北村という伝説の男②

前回の記事ではマッスル北村について書いた。

規格外の筋肉(ボディビル日本大会優勝)と、日本屈指の頭脳(東大合格)。

まさに、文武両道の体現者。こんなスケールのデカイ人は滅多にいない。

そんな彼は、マッスル北村こと、北村克己。

彼は16年前の2000年8月3日、奇遇にも今月に、急性心不全で死去。

享年39歳の若さで、この世を去った。

どうしてこんなに早くこの世を去ったのか。人生を生き急いだのか。

私の疑問は尽きぬばかりである。

ただ、私に分かることといえば、

彼は完全燃焼したのだ。

限界までやり抜き、やり切った結果、燃え尽きたのだ。灰も残らず。

その「限界」がいかな程か、今回は書きたいと思う。

繰り返しになるが、良い子も悪い子も絶対真似するなよ!死ぬから!

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 マッスル北村の伝説の続き

・日本実業団選手権大会優勝。

・直後のアジア大会のライトへビー級で優勝。

・「ジャパンチャンピオンシップス大会」で、過去最高の筋肉で見事優勝。

・この大会の優勝により、世界大会「ミスターユニバース」の出場権を獲得。

・しかし、ドーピング検査で陽性となり、失格となり、出場権を剥奪される。

・マッスル北村さんは潔白を主張。薬を使ったか否か、真相は今も闇のまま。

・失望したマッスル北村さんは日本ボディビル連盟を去る。

・それでもボディビルへ対する情熱を諦め切れず、国外で挑戦。

・1990年、ボディビル世界選手権で4位。

・その後、タレントとして芸能界で活躍する。医者になることも考えていた。

・9年後の1999年に、太平洋世界選手権優勝で復帰する。

・同年のアメリカ大会「NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズ」ヘビー級で3位。なお、日本人で3位とは初のこと。

・2000年の同コンテストで優勝を狙うべく、過去最高の追い込みを行う。

・その結果、減量を意識するあまり、必要最低限のカロリーすらとらず、その結果、餓死する。

悲劇のヒーロー

ヒーロー。それは英雄でもある。

知能・武勇と共に優れ、常人では成し遂げられない事を成し遂げた超人。

それが故、人から敬意を集め、憧れられる。イチロー選手のように。

そんな彼は間違いなくヒーローの素質を持っていた。

20代の若さで日本ではトップビルダー。世界を狙える逸材で、注目されていた。

しかし、ドーピング問題で彼の栄光の道は閉ざされてしまう。

本当に薬を使っていたのか、それともはめられたのか、真相は今も闇のまま。

仮にドーピング問題がなかったら、彼はもっと世界の舞台で活躍していたし、より我々をワクワクさせてくれただろう。

私にはそれが残念でならない。

マッスル北村の人間離れした食事

マッスル北村さんといえば、食事で有名だろう。

ボディビルダーにとって、食事は大切。とにかくたくさん食べないと筋肉を肥大化することが出来ないのである。

その食事方法で、マッスル北村さんはケタ違いだった。

ボディビルを始めた当初から、その食事量は頭おかしいレベルだった。

一日三食の食事に加え、卵を20個以上、牛乳を2リットル以上、とどめでプロテインを200g(普通一回分は20g)。これを毎日である。

アホかっ!

とツッコみたくなるのは私だけではないはず。

更に、有名なのが「マッスルシェイク」。

作り方は簡単。

卵白20個と、生冷凍ササミと、味付のバニラアイスをミキサーにかける。

それだけである。

「うーん、簡単そう!」

そう思った方、実際に真似をしてみた方の動画をどうぞ。

www.youtube.com

大の男でさえ、きつい量。この倍以上をマッスル北村さんは毎日。

www.youtube.com

アホかっ!(2回目)

彼が亡くなる直前の筋肉

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これは彼の最後となったゲストポージング。

この状態で大会に出たら、アメリカ大会で日本人初の優勝は十分狙えた。

なのに大会直前で、この世を去ったマッスル北村さんはさぞや無念だろう。

報われなかったとしかいいようがない

圧倒的実力と執念なまでの努力。

日本のみならず、世界で活躍できるほどスケールが違いすぎた彼が、ドーピング問題で栄光の道を閉ざされ、しかも国内大会出場禁止。

飯を食うためにやむを得ず、タレントへ転向するも、TVの出演者たちに、努力に次ぐ努力の果てに鍛え上げた筋肉をバカにされる日々。

特にビートたけしさんの、

「この筋肉を見て下さい!アフリカの飢えた人たちに見せたいです。」

この発言にマッスル北村さんの心情はいかなるものだったか。想像すらしたくない。

彼の自伝書では、将来への不安からか、アルコール依存症に苦しめられ、25度の焼酎を1.8リットルが一日のノルマだったそうだ。

普通なら内蔵ぶっ壊しているレベルだが、内臓が異常に強かった彼には普通だったらしい。

筋肉をバカにされ続けた彼は、当時どんな思いをしていたのだろうか。

それでも彼はボディビルを愛していた

見て欲しい。この純粋な、子どもみたいな笑顔を。

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彼はどんなに傷つけられても、苦しめられても、結局のところ、

ボディビルを愛していた。

これが分かる一枚の画像である。

どうしてそこまで愛することが出来たのか。

そして彼の死後16年後も、時に話題に上がっている。

一体、マッスル北村さんは何者だったのか。

次回ではそれについて書きたいと思う。

 

続く。