上段回し蹴りで地球を救うふりをするブログ

読者たちが「クスッ」と笑えるようなおバカブログを書いています。あ、上段回し蹴りと地球は全くないです。

私は勇者という設定に納得が出来ない

ゲームやマンガやラノベなどで、よく使われる設定として、「勇者と魔王」。選ばれた勇者が仲間たちと共に冒険を繰り広げ、とうとう魔王城へたどり着き、魔王との死闘を繰り広げる。そして大抵は死闘の末に、勇者が魔王を倒して、世界は平和になって、ハッピーエンティング。私はそこが気に入らない。到底納得できない。

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 そもそも、なぜ勇者は一人限定と決まっているのか。仮に勇者が選ばれた血の者であり、勇者にしか使えない特別な技・魔法があったとしよう。確かに魔王退治には役立つだろう。でもたとえば、父や母、兄弟、あるいは親戚なども立派に勇者の血を引くはずだ。なのに、彼らは共に旅立たずに「いってらっしゃーい。」と見送る。私には勇者一人に責任を押し付け、自分たちは平穏な生活を送る外道にしか見えない。

 

そして次に仲間。仲間は大抵3~4人。仮にパーティの編成が、勇者、戦士、魔法使い、僧侶としよう。これは基本的な構成だろう。しかし、そこにも疑問がある。なぜ、パーティは4人と決まっているんだ?困難な冒険を乗り越え、魔王城へとたどり着くにはどう考えても仲間の人数が足りない気がする。私だったら、戦士10人、魔法使い5人、僧侶5人は用意する。コストはかなりかかるが、世界を救うのにお金をケチるのは論外としか言い様がない。ばっかじゃねーの?

 

私だったら、軍団を作る。たくさんの国で同盟を組む。規模は1000万人の軍団としよう。もし魔王や魔王が特別な呪文や能力を持っていない限り、物量作戦で攻める。城の周りを囲い、時間をかけて補給線を断つ。とにかく人間を大量に投入すれば、別に勇者がいなくても、兵士たちで十分に魔王を倒せるのではないか?私はそこが疑問である。

 

そして次に仮に魔王を倒したとしよう。人々の生活を脅かす悪を倒した。世界は平和にな・・・るわけない。魔王は魔物たちのボス。そのボスが倒れれば、自然と組織が崩壊し、魔物たちは好き勝手に暴れ出すに決まっている。最悪、複数人が「俺が魔王だ!」と各地で名乗りだしたら、自称魔王たちを一匹一匹を潰すために、あちこちを冒険するはめになる。もちろん人間の犠牲者はより増える。

 

私だったら魔王と交渉する。魔王と交渉し、お互いの土地に侵略しない条約を結ぶ。もし人間と魔物のいざこざがあったら、中立の立場である裁判所で申し開きでも何でもすればいい。そもそも、悪を倒したら平和になるわけがない。新しい悪が生まれるだけである。ならば、魔王という今の悪と上手く付き合っていく方が、余程有効な外交手段だと思う。人間や魔物の犠牲者がグッと減るだろう。勇者の「魔王ブッ◯す!」思考は違和感を覚える。

 

どうしても魔王が人間界を侵略する意志が強ければ、私だったらとりあえず魔王をボコって、操り人形にする。操り人形と化した魔王の言うことを魔物は聞く。そこを利用すればいい。何も魔王を倒す必要はない。勇者は後のことを全く考えてない気がする。

 

とここまで書いて、今気づいたが、真の悪は勇者ではないのか。勇者は「魔王を倒す」という存在意義で特別扱いされている。ではもし魔王がいなくなったら?当然勇者はニート化する。ニート。それに耐えられない勇者は、とりあえず魔王という敵を適当に作り、己の存在を正当化する。最悪、魔王と裏で手を組んで、「あの村を魔物で攻めて!お礼はするから!」といった陰謀論も十分考えられる。

 

と、話が変わるが、実は私はドラクエVの主人公が大嫌いである。理由はごく簡単。ドラクエ5の主人公は勇者ではない。息子が勇者である。まだ幼い息子を無理やり勇者にさせる。こんな最低な主人公がいるか!いてたまるか!

 

更に言えば、ドラクエ5の主人公や勇者はいらなくね?ドラクエVはモンスターを仲間に出来る設定だから、強いモンスターたちさえ揃えば、主人公たちは馬車の中から応援を送るだけでいいんじゃね?主人公や勇者がいなくても魔王を倒せるじゃん。

 

だから私は勇者という設定が気に入らない。でも勇者ヨシヒコはOK!だって勇者ヨシヒコ面白いもん。

 

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以上ー!

 

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