【めぞん一刻】日本一カッコ悪い誕生日【響子さーん!!!】
唐突だ。いつも唐突だが、今日はガチで唐突だ。具体的に言えば、かめはめ波どころが、元気玉を放ちたいレベルだ。
つまりだ。私は酔っ払っている。ビールを何本も胃に流し込んでいる。明日?そんなの知ったことか!今は今だ!明日は明日で考える!
もう単刀直入に言おう。今日は私の誕生日だ。3✕歳から、3✕歳と、私はまた一つ年をとる。そして私を祝福してくれる人はいない。当然だ。私は自分の誕生日を隠し、一人でひっそりと生きる道を選んだからだ。
昨日の記事で紹介した未亡人漫画「めぞん一刻」で、音無響子さんの生き様が私に深く衝撃を与えた。サンダガ並に。サンダーでもなく、サンダラでもなく、サンダガレベルで。私の胸を焼き尽くし、衝撃を与えた、この思いが、今この記事を書かせる原動力となっている。
そう、「めぞん一刻」のせいで私は酔っ払っているのでる。
酔っ払っていると言っても、さすがにこの記事を書く意識は残っている。でも今もビール、私が好きなアサヒのビール缶を片手に、チビチビ飲みながら、書いている。これも3✕歳のおじさんが酔っ払った勢いで書いているんだと、どうか笑って受け流して欲しい。
でも、30代以上の方はダメだ。むしろ3✕代以上の方は気に留めて欲しい。
私は今年で3✕歳になる。もういい年だ。世間的に見れば、大人と見なされても文句は言えない年頃。
私は恋人はいない。家族もいない。天涯孤独。皮もむけない、皮余り気味な人生。そんな私が明日で3✕歳と、また一個一年を積み重ねる。365日を生き抜いた。
私には何もない。
この事実を強く意識させてくる。私のパパンとママンが、不純異性行為、いわゆる若き故の衝動と熱気による、エークスで私を世に出し、「あんたなんて、早く産むんじゃなかった!」とよくある更年期障害でヒステリックになったママンが私に言い放ったように。
家族も。仕事も。世間体も。私がこの世に生きる、いや、生きねばならない理由がない。存在がない。価値がない。
私は根なし草。風の吹くまま、気の向くまま、そんな生き様を選んだ。私の人生を選んだ。故に、自分の選んだ人生に後悔はしていない。悔いはない。
でもだ。
でも、この心を空っぽにしていく、無に帰していく、この空虚感にも似た感情はなんだ!!!!賢者モードに至った直後じゃない。ぶわっと背筋を凍る不安が襲い、形状しがたい恐怖が襲ってくるこの感情。
ああ、私はしくじったのだと。このクソッたれた人生を。
私はこのまま年をとり、40代、50代となり、ひとりぼっちで生きていくのだろうか。誰にも看取られず、誰にも構ってもらわず、ひたすら孤独に。
あ、かまぼこ急に食いたくなった。
今思えばチャンスは何回かあった。私が生きた証を残す。結婚し、我が子を産み、我の血を残す。こうやって歴史は紡がれていく。実際、数回ではあるが「あ、この人に俺の子を産んで欲しい」と思えた女性がいた。結局は、自分の臆病さと自信なさで逃げ続けてきたが。
では。ではだ。
歴史を紡いでいくのを、自らの意志で拒否した人たちはどうなるのか。自分の代で血を終わらせることを選択した人たちの気持ちはどうなるのか。末路はどこへ行き果てるのか。
簡単だ。
無だ。
何もない。何にもない。完全な0(ゼロ)である。
あ、ジ・Oカッコイー。
ええい、もう支離滅裂。自分で何を書いてるのか分からなくなってきた。今回の記事のテーマすら分からない。ジ・Oで、オーと読むのか、ゼロと読むのかさえ、分からない。ついでにオシッコしたい。
私が言いたかったのはとどのつまり。「めぞん一刻」で、未亡人の響子さんが主人公と再婚という、甘ったるさ250%のラストを迎えたのが、私の心を強く揺さぶったからだ。ジーク・ポコチン!という感じで。
俺にゃ、あんなハッピーエンティング、いや、苦難に満ちつつも素晴らしき、充実した幸せな日々を送れないからだ。つーか、無理。無理。
といった感じで。
これも酔いによる勢いで書いたと思って欲しい。恐らくこの記事を書いた本人が「うわぁぁぁ!!!!さlkgjさげいじゃ!!!」と後で叫びながらのたうち回るレベルで恥ずかしがる感じで。
結局。私が言いたかったのは。
ひとりぼっち。孤独。誰にも看取られずにこの世を去るのは怖いのだと。
マジでこれ。結婚適齢期?そういう問題じゃない!
己の人生を一人で生きるか、血を分けたもの、人生を分けたものと一緒に生きるか。
要は、人生の選択である。あなたはどちらを選ぶ?前者か?後者か?
いつもながら話が長くなったが、言いたかったのはこれ。「めぞん一刻」のラストで、
そんで一発ヤッた後。
これに対し、私は、
以上!!!
ラブコメ漫画、ぶっ◯す!!!
所要時間 知るか
文字数 2000文字以下じゃね?