上段回し蹴りで地球を救うふりをするブログ

読者たちが「クスッ」と笑えるようなおバカブログを書いています。あ、上段回し蹴りと地球は全くないです。

アキオ、うつ病になりかけているってよ

実は私は今日会社を休んだ。朝に起きて、曇りで淀んだ空を見上げ、いつものようにスーツを通して出勤の準備をしていたが、私は途中でその場で座り込んだ。「あ、今日は無理。会社に行けねぇや。」と会社に行く気持ちがどうしても湧き出てこなかったためだ。

 

幸い、有給休暇は結構たまっており、上司からも適度なタイミングで消化するように指示されたこともあり、思い切って今日はお休みすることにした。ただ今日突然休むのだから、会社の同僚には迷惑をかけて申し訳ないと思っている。私の分の仕事を誰かがフォローしなければならないからだ。

 

そして私は午後3時なのに、家でこの記事を書いている。特に外出も何もすることもなく。ブログを書くことによって、現実逃避している。とにかく、何もしたくなかった。気力がわいてこない。私の大好きな男の娘の画像をネットで拾い集める気力すらない。

 

私は「やばい、これうつ病になりかけてるわ。」と冷静に自分を客観視していた。理由は簡単。前の会社でうつ病になりかけたことがあるからだ。前回の時は自分がどれだけ追い込まれているか自覚出来なかった。当時、そんな私の異常さを察した同僚が「アキオ君、最近元気ないな?」と心配してくれて、その時初めて気づいた。

 

前の会社の私は営業職だった。営業成績が全てとされ、成績がよい社員は褒められ、成績が悪い社員は吊し上げにされる。朝礼で「私は目標を達成出来ませんでした!」と公開リンチさせられる。事実、この過酷さに心折れて職場を去った人を何人も見届けた。

 

私は必死に頑張った。会社のためというよりも、自分が生き残るために。あんな屈辱を受けたくないために。その結果、新人時代は下から数えた方が早かった営業成績がみるみる上がり、数年後には課内で常に5位内と安定した成績を残せるようになった。私が最盛期だった時は念願のトップをとり、MVP賞をいただいたこともあった。その時に合わせていただいた臨時ボーナスの金額を見て、腰を抜かしかけた。

 

普通ならサラリーマン冥利に尽きるだろう。サラリーマンとして十分誇れるレベルだろう。しかし、あの時の私の心は疲れ切っていた。飛び込み営業、お客様回り、クレーム対応、同僚との争い、毎日数字を見つめ、残業は当たり前。朝8時出勤、夜11時帰宅は当然だった。周囲もそうしていた。これも誰もが生き残るため、必死に働いていた。

 

そんな私が営業トップを成し遂げ、MVP賞もいただき、私がまだ20代にして目標を達成してしまった瞬間、ふと自分を初めて振り返ってみた。「あれ、俺なんのために働いてんだろう?お客様を口八丁でやりこめて契約させたり、実力が上の同僚の不祥事を上司にリークして失脚に追い込んだり、重大なミスをして損害を出した後輩を見捨てたりしたんだろう。」と。その日を境に、私の心は急激に疲れてきた。

 

料理がおいしくない。映画を観ても感動しない。音楽を聞いても心に響かない。かわいい犬や猫を見てもほっこりしない。要するに、私は無感動状態になっていた。私はこの危険信号に気づかなかった。

 

同僚の心配の声で、この危険信号にようやく気づいた私は得も知れぬ恐怖で焦り、私はプライドをかなぐり捨てて、精神病院へ駆け走った。そこで担当医との診断を受けた。結果、担当医は重そうな表情で「あなたの心は疲れている状態です。」と告げられた。不幸中の幸いか、私の場合は薬は不要で、とにかく心を休めるケアに取り組めば、回復するレベルだった。

 

しかし、私は激しく落ち込んだ。当時「うつ病は心の弱い人がなるものだ。」と勝手な偏見を持っており、うつ病になることは社会人失格の烙印を押されると思い込みすらしていた。今では「うつ病は誰でもなる可能性があり、自分の心と向かい合えば十分治せる病気」と、うつ病に対する理解が世間で深まってきているが、昔はそうではなかった。

 

私はとにかくうつ病関連の本を読み漁った。自分の人生がかかってるんだ。必死になって当然だ。昔は情報が少なくて悪戦苦闘したが、私なりに自分の置かれた状況を分析し、自分の場合はどうすれば治るのか、私なりに結論を導き出した。

 

「自分を嫌いになるのをやめる」ことが大事だと分かり、とにかく「自分を好きになる」ことを心がけた。その結果、ギリギリでうつ病を回避することが出来た。それと同時に、私をうつ病寸前に追い込む会社に疑問を初めて持った。

 

その疑問がますます私の体を重たくした。体重増加という意味ではなく、原因不明の恐怖や不安、職場へ行くことの抵抗感で、常に私の体はだるい状態だった。今思えばうつ病寸前だったと思う。上記でも書いたが、そんな私の異常さに気づき、心配してくれた同僚には今でも深く感謝している。

 

要するに、私の職場は私には向いていなかったのだ。私の性格は争い合いに向いていなかった。自分に会わない職場で無理をして頑張り続けた結果、徐々に「こんな俺は本当の俺じゃない」と自分を嫌い出すようになり、私の心が警報を鳴らし始めていたのだ。

 

私はその心の警報を無視することなく、しっかりと受け止めた。その結果、前の会社を退職した。無論、その他にも色々な理由もあったが、とにかく私は疲れた。疲れ果てた。

 

退職後、自分への休養時間として心の回復に努め、本来の自分を取り戻す時間をたっぷりとった。そして体力、気力を十分に取り戻した私は転職活動を開始した。自分でも言うのも何だが、前の会社で優秀の類に入っていた私は、あっさりと転職に成功した。内定をいただいた。ちょうど不景気の最中、たった三社しか面接を受けていなかった。あの過酷な営業成績競争で、私の行動力、口巧さ、駆け引きといった能力が鍛え上げられたおかげだろう。全くもって皮肉だが。

 

そして、今は営業職とは全くかけ離れた、一般事務系の会社で働いている。営業成績ノルマに怯える日々はもう終わり、今は決まった仕事を毎日機械みたいにこなすだけ。しかも残業はほぼなし、定時には家に帰れる。まだ明るい空を眺めながら帰れる。以前の午後11時帰宅が嘘だったかのようだ。

 

当然、私の精神状態はものすごく落ち着き、開放感すらあった。仕事もバリバリとこなしていた。人の二倍以上は働いていた。自分の仕事が早く終わると「私手が空いたんで、次の仕事ないですか!」と子犬ばりに上司に仕事をねだった程だ。

 

今思えば、それが私のしくじりだった。私があまりにも仕事をこなしたり、また持ち前の行動力で積極的に上司に提案をしたりなどした結果、A主任より煙たがれる存在となってしまった。現在、私とA主任との仲は冷え切っている。陰で「アキト君って頼りになるのよねー。アキオ君さえいれば、A主任なんていらないんじゃない?」といった空気が流れているためだ。私はともかく、A主任にはかなりこたえるだろう。

 

こんなことなら最初から全力で頑張らず、わざと手を抜いた状態で挑めばよかった。最初から全力で頑張ったため、周囲に「アキオ君すごいな!」とチヤホヤされ、期待値を勝手に上げられていた。そして私はその期待値に応えられる実力を持っていた。今思えば、その時から上司であるA主任にとって、私の存在は面白くなかったのかもしれない。

 

その事実に私が気づいた時にはもう遅かった。慌ててA主任に媚びたり一緒に飲みに行くなどして、私なりに関係修復を図ろうとしたが、手遅れだった。完全にA主任に嫌われている。しかしA主任も心が狭い自分に非があるのか、あからさまに私に敵対行動をとることはせず、腫れ物を扱うような対応をされる。私は年下なのに。部下なのに。これマジきつい。

 

そんな感じで、今の職場へ行くのがなんか辛くなっている今日。仕事にすっかり慣れ、毎年毎年変わらない仕事内容にすっかりマンネリ化している。会社に行くのが苦痛になりかけている。そして私がまたうつ病になりかけている。それが今日。突然会社を休んだ日。

 

ノルマが発生しない穏やかな環境の会社にすら適応できない私は、社会適応不能者なのだろうか。このまま、またうつ病になりかけるのか。私は一体どうすればいいのか。答えが見つからない今、必死にあがくしかない。解決策を見つけ出すため奔走しなければならない。

 

本当に今の日本のサラリーマンは大変だ。

 

以上。

 

文字数33396文字

所要時間1時間33分