上段回し蹴りで地球を救うふりをするブログ

読者たちが「クスッ」と笑えるようなおバカブログを書いています。あ、上段回し蹴りと地球は全くないです。

上司をストレスでKOしてしまった「サラリーマン」という名の野犬、アキト

私は今すごく落ち込んでいる。精神的にKO寸前。正直、お酒や新興宗教に逃げたい気分だ。男の娘専門の風俗店へ行く気力すら湧かない。やばい。会社の人事関係で何回も落ち込んだりしたが、今回は致命的としかいいようがない。ヘビー級ボクサーに左ストレートからの上段回し蹴りをもらった気分だ。

 

結論から言おう。私の会社の上司であるA主任をストレス性胃腸炎に追い込んでしまった。ウイルスや細菌が原因ではなく、ストレスによる胃腸炎らしい。もちろんその感染源は私だ。このアキトだ。この事実を知った今日、私自身が目眩に襲われたり、会社の同僚からすっかりビビられたり、上司の更に上司の課長、部長クラスからの「面談」という名の呼び出しを受けた。

 

「えっ」

私のこの言葉が会社のとある部屋中に響いた。

「すみません、もう一回おっしゃっていただけますか」「だからA主任はストレスによる急性胃腸炎で今週中は休むんだって」「そんな事があるんですか」「そんな事もあるんだよ、アキト君」

私の信じられない顔に困惑を隠せないB課長は疲れた顔で返していた。隣に座るC部長も心なしか容疑者を見るような目で私を見ていた。いや、罪人そのものか。

 

正直、私も薄々感づいていた。A主任がストレスを溜め込んでいて、今年の初めころから「俺さ、最近また体重が減っちゃってさ。」と弱々しげに言っていたのを。今思えばこれがA主任なりのSOSだったのを。しかし私は「正月に食っちゃ寝をしてて、体重が3キロも増えた私に対する嫌味か」と内心では皮肉として受け止めていた。つまり、それ程私とA主任の仲は冷え切っていた。「嫌い」ではなく「冷え切った」である。

さかのぼって話したい。

 

3/13。一昨日。A主任が突然休んだ。最初、部下の私たちは「へー、急に休むなんて。珍しいなぁ。」程度に受け止めていた。私も最初は「A主任の陰険な顔を見なくてラッキー!今日はいい仕事が出来そうだ!」と捉えていた。この時の私を今ではリンチしたい。

 

3/14。昨日。一昨日に続き、上司が2日連続の休暇。この時点で私のチームは騒ぎ立てていた。「A主任に何があったんだろう?」「家庭内問題?」「そういえば体調があまりよくなかったような」この時点で私は嫌な予感がしていた。というか同僚たちの私を見つめる視線が「どうせまたアキト関係やろ」そのものであった。私は黙って床を見つめるのみだった。

 

3/15。今日。私は課長や部長といった更に上の上司たちから、突然の面談を言い渡された。事前通告もなしに。私は最初「クビ?」と最悪の展開を想像していた。突然の面談で明るいオチはまず聞いたことがない。大抵はお叱りか大変言いにくい話である。

 

ただ「面談」という名の呼び出しを受けた時点で、私は心当たりがあった。というよりもそれしか思いつかなかった。A主任絡みだと。

 

私の予想は当たった。そして話は冒頭に戻る。

 

「A主任の体調は大丈夫ですか?」「うん、幸い一週間もあれば完治するらしいって」「こんなことは言いにくいのですが、そういった症状は前からあったのですか?」「まぁそうなるね。日曜日の深夜、腹を抱えてうずくまっているA主任を見た奥さんが病院へ通報したって」「そんな・・・」「A主任もストレスで大変だったんだろうね。とりあえず今週は課長の私がA主任の代理になるから。よろしく。」

 

何がよろしくだ。B課長の顔に「てめぇのせいでA主任は倒れたんだよ。余計な仕事を増やしやがって」ありありが浮かんでいた。C部長も「このアキトめんどくせぇ」顔を浮かべていた。

 

しかし私はすっかりうなだれていた。ショックを受けていた。今回に限っては私が全面的に悪い。非そのものは私にある。というより、「面談」という名の呼び出しを受けたのは今回が初めてではない。3度目だからだ。

 

1度目は私がまだ血気盛んだった20代の時にA主任に反発しまくって呼び出しをくらった。あの時の私は若すぎて「いえ、私の責任ではありません。この仕事にGOサインを出したのはA主任です。この書類の押印をよく見て下さい」としらばくれって、B課長を呆れさせていた。

 

2度目は私とA主任の険悪なムードを危惧してまた呼び出しをくらい、「じゃあ私はどうすればいいんですか?A主任にへりくだったらいいんですか?ヘコヘコしてたらいいんですか?」と逆にB課長を追い詰め、またB課長を呆れさせていた。

 

そして今回である。

 

これだけ言えば私は会社の問題児だろう。不良社員と見られても仕方ないだろう。仕事が出来ない社員。トラブルメーカー扱いされてもおかしくないレベル。

 

それが私に限っては非常にややこしいことに「仕事が非常に出来るからこそ、問題を起こす」ケースとなっている。私自身気がつき、出来るだけ目立たずに機械的に処理するマシーンとして徹しようとしていても、周囲がそうさせてくれない。「アキトさんは絶対仕事で手を抜いている。ミスをわざと指摘しない。」と酷評してくる。詳しくは以前の記事をみていただきたい。

 

rle.hatenablog.com

さすがにB課長とC部長はこの事態を把握しており、だからこそ私という社員を扱いかねている。そりゃそうだろう。野球で言えば、平凡な監督がイチローという超一流のプレイヤーをどう扱えばいいのか頭を悩ませるようなものだろう。

 

終始「面談」という名の呼び出しは重苦しい雰囲気に終わり、直接的には言われなかったが「お前いい加減にしろよ」と裏のメッセージを内心で受け止めていた私は、すっかり満身創痍。体ではなく心がKO寸前。今すぐお家に帰って布団にこもりたかった。

 

正直、A主任は「アキト」という部下を使いこなせなかった、飼い慣らせなかった、「上司のくせに」と無能呼ばわりされても仕方ない立場にいただろう。上司なんてそんなものだ。部下のミスは上司のミス。「人の上に立つ器ではなかった」と失笑して終わる話。

 

だが私は責任を感じている。というよりも私のせいだ。A主任はきっと長年苦しんでいたに違いない。アキトに男の器として負けて、上司の更に上司から「無能上司」という評価を押され、周囲からも見放されていて、ストレスを溜め込んでいたに違いない。いつもいつも辛かったに違いない。

 

私は前の会社で「成績の数字が全て」と新人時代から徹底的に教え込まれ、私は立派な戦場犬と化していた。数字のために人を蹴落とす思考を叩き込まれていた。そんな野犬が、平和で閉鎖的で静かな世界で暮らす羊たちの世界、今の会社で生きていこうとしていても、共存はまず出来ない。100%対立する。意見が合わず、空気も合わず、お互いに嫌い合う。

 

理由は簡単。

前の会社は「成績の数字」を優先し、今の会社は「周囲の感情」を優先する。

前の会社は数字で結果を出した人が出世するが、今の会社は周りの空気に合わせまくった人が出世する。

私はこの点に気づかなかった。誰も教えてくれなかった。再就職し、今の会社に入社した時点で遅かった。遅すぎた。3✕歳になった今日「人生なんてそんなもんさ」という言葉を痛感している。

 

この全く違った、反立する世界で生きていこうとしていた私が間違っていた。今度こそうまくやれると思っていた私が間違っていた。今の会社を選んだ私が間違っていた。

 

 

しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。ひたすらしくじった。

 

 

とにかく今週中はA主任は会社に来ない。そして私は明日と明後日、同僚からの怯え切った視線に耐え切らねばならない。アンド、B課長の呆れきった顔も。

 

きっつー。ガチで。