私は甲子園でローキックをかました仙台育英高校のあの子に上司になってほしい
毎年夏頃に甲子園で、技術と技術のぶつかり合い、男と男のぶつかり合い、意地と意地のぶつかり合う。そんな高校球児たちの戦場。
そんな聖なる土地で、前代未聞の大事件が起きた。そう、仙台育英高校の選手が一塁手の足を蹴り上げた。
一塁手が「まさか蹴られないだろ」と出来る限り右足を伸ばしたところを、完全な無装備な所を足が浮くほどの強烈な蹴り。しかも全力走で体重を思い切り乗せて。
これは誰がどう見てもアウト。たとえ偶然の事故だとしても、相手の足を壊し(現に一塁手は試合後、車椅子で後にした)、相手の戦力を少しでも削ぐ目的で行われたといわれても言葉に詰まってしまうだろう。言い返しにくいだろう。
しかし。
私はそんな彼のローキックを、麦茶を飲みながらテレビで見て、「是非この子に上司になってほしい。」と思ってしまった。
もちろん私の思考がおかしいことは重々承知している。この数ヶ月間で自分の論理感がお見事に書き換えられてしまっている。
道端で迷っている幼子に、嘘の居場所を教えてより危険な場所に誘導するのにためらいを覚えなくなっているように。
なぜなら私は、ローキックならぬ、ハイキックをかますことに抵抗感を強く覚える、本当にただのお人好しのペーペー上司なのだから。
結論から言おう。
うちの部署に契約社員が二人いる。二人とも女性で妙齢の方々だ。その内の一人を来年3月末で雇用終了、いや切ることになっている。
話は単純。コストカット、コストカット、毎年減らされる人材費、戦力が減らされど増える見込みは全くなく、結果的に一人一人あたりの仕事量が増える。そんな今日。
うちの会社も例にもれず、「君んとこの部署、人多いよね?」と上の会議で、そういう流れで、そういうことになった。上司として出席していた私は、心が冷える思いだった。人の人生がこんなにあっさり決まるなんて・・・。
私は内心震えていたが、課長の人間の皮を被った悪魔の一言が。
「アキオ君、契約社員のAさんとBさんのどちらかを切るから、どちらが使いやすいか観察しといて。使えない人は3月末で契約解除させるから。」
私は急に世界が狭く、広がり、伸ばされ、縮む思いをした。目線が近くにあり、同時に遠くにあるような感覚。それと同時に、内臓に手榴弾を埋められた気さえした。
私はAさんともBさんとも交流はあり、仕事中に他愛のない雑談でしばし盛り上がったりもする。二人とも礼節をわきまえており、仕事も出来て、人間的に気持ちのいい社員で、いい仕事仲間だと思っていた。
そんな彼女たちを私の判断、いや、気分次第で失職に追い込むなんて。
私はしばらくの間、AさんとBさんの顔をまともに見られなかった。なにも知らないAさんとBさんは私に明るく声をかけてくる。
「アキオ副主任!大丈夫ですか?クーラー効きすぎてませんか?」
と。
私は「自分の皮をはいでくれ!」と言いたかった。
そして人の噂に鍵はかけられない。いくら会議で極秘扱いとなっても、なぜか必ずどこかでポロッと漏れ出るものだ。
やがて真相を知ったAさんとBさんの顔が変わった。その日から私を恐れるようになった。怯えるようになった。恐らく、AさんとBさんには私の手首に死神専用の大きな鎌苅が見えていただろう。
Aさんは私に媚びを売り始めた。
「アキオ副主任!私に出来る仕事はありませんか!」
Bさんは私を嫌うようになった。
「なんであんな奴に私のクビを決められないといけないのよ!?」
私は悩みに悩んだ。どう選択しても必ず一人に恨まれる。でも上司命令だ。決断しないと行けない。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。決断。
答えは出た。
3ヶ月後の会議。
課長の重いようで軽い言葉が私を捉える。
「どっちか残すが決めた?」
私はあらかじめ決まっていた答えを、罪人を裁く言葉を、静かに放つ。
「Bさんを残します。」
AさんもBさんも同レベルで仕事が出来る。人格も同じレベルで出来ている。
では何が彼女たちの命運を分けたのか。
実はAさんは自意識が強く、しばしば自分の主張を言い、曲げもせず、周りの空気を重くしていた。よく言えば革新的、悪く言えば自ら暴発してくる。そんな人だった。
かたやBさんは大人しく、自分に与えられた仕事をこなすだけという、「契約社員の役割」をよく理解している方。正社員ともあまり関わりを持たず、ひたすら大人しく徹する方だった。
なので私はBさんを選んだ。仕事の仲間として。「大人しく黙って働くのが最高の社員!」という上司たちの共通する意識に基いて。
残れたBさんはあからさまにホッとした顔をし、契約を来春で打ち切る旨を伝えた人事部の話によれば、Aさんは終始無表情になっていたらしい。
それ以来、Aさんと話す機会が激減したのは言うまでもない。
私の心のかさぶたが、また一つとれた。全部のかさぶたがとれたら、次は皮。そして筋肉が剥ぎ取られていくのだろうか。
また最近の噂で、
「Aさんが、うちの会社が一番忙しい11月を狙って、当てつけで辞めるらしい。」
その噂を耳にした課長は事もなげに言った。
「Aさんをなんとかなだめて、無事に3月末で辞めてもらうよう、上手くやってよ」
私は心が致命的レベルで傷んだ。胃が捻りきれそうだった。
そんな私だから言える。
仙台育英高校のあの選手君!
相手に平気でローキックをかませる君に、上司になってほしかった。
なぜなら、人をためらいもなく傷つけることが出来る人が、上司に要求される資質の一つであり、例外もれず出世しやすいのだから。
以上。
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