私は愛想がよい美女には牽制ジャブをするようにしている
突然だが、私は愛想が良い美女とは距離を置くようにしている。仕事とプライベート共に。私の心の中で牽制ジャブを忘れていない。
たとえ彼女から「おいしいお店知っているんですよ。一緒に行きませんか~」と誘われても「ごめん、うちのカーチャンがお弁当を用意してっから!」とさり気なくかわす程の筋金入りである。
言っておくが、私は同性愛ではない。ボーイズラブに出てくるアレではない。れきっとした女好きだ。特にOPPAI大好きである。
下の写真のような「愛想がよくてOPPAIな美女」を私は内心では警戒している。絶対に隙を見せない。むしろ無愛想気味に接するよう、心掛けている。
私は別に愛想がいい美女に恨みはない。嫌いでもない。
ただ、単純に愛想がよい美女が油断ならないのだ。信用しにくいのだ。
たとえば、
(こいつ、鞄のヒモでOPPAIを強調しやがって!あざといんだよ!)
(美味しそうなフリをしてんじゃねぇ!あざといんだよ!)
(何座ってんだよ!ヒップ強調やめろ!あざといんだよ!)
(ポッキーでヒゲごっこしてんじゃねぇ!あざといんだよ!)
と、これだけ書けば、いかに私が愛想がよい美女を警戒しているのがお分かりいただけるだろう。理由?
愛想がよい美女は大抵が腹黒い。
偏見?思い込み?
そうだよ!!!
繰り返しになるが、私は愛想がよい美女に恨みはない。どちらかというと私の思い込みや偏見が150%入っている。
しかしよくよく考えて欲しい。愛想がよい「人」は好感を持つが、愛想がよい「美女」だと警戒感を持つのは私だけではないはずだ。必ず裏があると疑ってしまうのは私だけじゃないはずだ。
「愛想がよい美女」 は裏返せば、「愛想よくしておけば、大抵の相手は喜んでくれる」「深く考えず、とりあえず愛想よくしておけば場を乗り切れる」「愛想よくしておけば敵を作らずにすむ」。
その時点で腹黒いじゃねぇか!
ただ、「愛想がよい」ことは社会という窮屈な場所を生きる上で、必要に迫られて磨かれたコミュニケーション手段の一つであり、特に仕事関係や交友関係では歓迎されるスキルなので、私は内心で眉をひそめつつも、決して否定はしない。むしろ推奨したい。
しかし、私が言いたいのは、
愛想よくすることで、自分の本当の気持ちを隠す。仮面を被った付き合いをされる。
私はそこが悲しい。本音の付き合いをしてくれず、誰にも同じことをしていると思うと、冷めるものがある。
「所詮、私はどこにでもいる人扱いかよ」と思いたくなる。
自分だけに向けられた笑顔や愛想がない。特別感がないのかと思いたくなる。
愛想をつかわれると、「あー、本音隠してるなぁ」と思いたくなる。
誰にでも愛想よくするのは、周囲の人々にチヤホヤされるかもしれないが、しらけた目で見ている数人もいることを、夢々忘れないでほしい。
私は「愛想がよい超美女」よりも「本音で向かい合ってくれる女性」の方が異性として好みだ。断然。
オチ
なぜこの記事を書いたのかというと、先日、愛想がよいOPPAI美女にコロリと落ちて、スーパーひどい目にあったからだ。アノミズオイシカッタナー。
以上~!
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