私は英雄になるくらいなら豚犬の如く逃げる
東海道新幹線殺傷事件という、とても痛ましくて悲しい事件が起こった。事件の内容に衝撃すら受けて、しばらくの間は外出が怖くなる程だった。
まずは、ナタを振り回して無差別殺人を行おうとした犯人を、体を張ってこれ以上の凶行を止めようとした、とても勇敢で自己犠牲の精神に溢れた梅田 耕太郎さんに心からのご冥福をお祈りします。
私は梅田さんのとられた行動に最大上の敬意を払っている。被害の拡大を食い止め、女性を守ろうとした、梅田さんのような行動が出来る人がどれだけいるのか。いや、非常に少ないだろう。それくらい、いざとなると自分がかわいくなるものだ。
ネットでは梅田さんを称え、優秀な方を失ったことを悔やむツイートが多数。
そして、このツイートも炎上。
「どうして他の男性も応援しなかったの。一緒に止めなかったの。」
と。
私はこう返したい。
「ナタを振り回す精神異常者に、どう立ち向かうのが一番よかったの?」
これに「俺ならこうした!」と胸を張って答えられる人は少ないだろう。正解はどこにあるのか自問自答が大半だろう。
私はその時の事件にリアルタイムで巻き込まれた人ではないし、ニュースで事件を知った後者。
全てが終わった後で何の被害も受けていない私のような、第三者の立場が言えたことではないけど、第三者の立場だからこそ言えることがある。
もし私がその場にいたら、やはり逃げていたと思う。我が身のかわいさに。
私は一応格闘技経験者で実際に試合に出たこともある。
だからこそ。ナタという大きな包丁の凶器に、どう対処すればいいのか余計に分からなくなる。
もし凶器がなく拳のみだったら、私も体を張ってタックルをしてでも止めに入っていたと思う。
しかし「ナタ」となると話が違う。一振りするだけで皮膚が簡単に裂け、筋肉が切り込まれる。包丁で野菜をザクッと切るまではいかないだろうが。
もし目や首などの急所を切り込まれたら?普通は防御のしようがない、どうしようもないところを。
さらに言えば新幹線という、通路が一人分とスペースが限られている空間で、きれいにかわす、もしくは受け止められる人は恐らくいないだろう。
例えるならトイレという閉じ込められた空間で、刃を見切ってかわしたり受け止めたりするのは、普通に考えて無理に近い。その道を極めた達人でない限り。ゲームや漫画のようにうまくいく訳がない。
結論から言って、死を覚悟してでも、体を切り刻まれてでも、凶行を複数人で止める。それがベターかもしれない。
ここからが本題。
「どうして見ず知らずの他人のために、体を張らないといけないの?」
このブログの炎上覚悟で言うが、すぐそばに私の大事な人や家族がいない限り、そこまで自己犠牲の精神は持てない。自分にナタの凶器が来ない限り、逃げる。
豚犬のように逃げて回る。
無関係の女性を守ろうとした梅田さんは非常に勇敢だと思う。英雄と言ったっていい。最も御本人も全く意図しなかったものだと思うが。
私は死んでまでヒーローになりたくない。ナタに切り刻まれて、深い傷、あるいは治せない致命傷を負いたくない。たとえ女性であったとしても、見ず知らずの人にそこまで尽くす義理もない。
卑怯者?
臆病者?
それでも男?
度量の小さい人?
うん、私はそれでもいいよ。ただそれらの言葉は、実際に事件に遭遇した方々しか、言う資格がないと思う。
第三者の、安全な立場から責められたとしても苦笑するだけである。心の底では「この人はレベルが低いんだなぁ」と思うだけである。
結局のところ。
「そんなに文句言うなら、お前もその場にいてみて?」
である。
私自身、「自分だったらどうするか」と深く考えさせられた。
ある日突然降臨した「死」という問答無用のプレッシャーに、どう立ち向かうか。
か弱い人たちをどう守るか。または守ろうと出来るか。
自分は英雄になれるか。それとも卑怯者の兜をかぶるか。
ただ言えるのは一つ。
事件に巻き込まれた方々は「もしかしたら私にも何か出来ることはあったかも」と深く悔み、苦悩し、ひたすら自問自答されていると思う。
今は急すぎて受け入れられないかもしれないが、時間をかけてゆっくり、少しずつ、自分なりに納得し、「私はこうしていた」と自分の落とし所を見つけてほしい。そして楽になってほしい。
一番悪いのはいつだって犯人なのだから。
以上。
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